開脚の夢

幼児期に股関節脱臼の手術をして現在に至る。
現在の病名は変形性股関節症。
夢は開脚すること。
趣味は短歌と写真撮影。
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岡山県高梁市
みなさん 紛らわしくてごめんなさーい

備中松山城は岡山県高梁市にあります

高梁市は備中の小京都と呼ばれています

お城から高梁市が見えました



武家屋敷もあります



なんだか 観光案内みたいになっちゃった
旅行 | 21:03 | comments(4) | trackbacks(0)
お城
備中松山城はかなり標高が高い場所にある

杖をついて時間をかけてやっと到着した

ここに居ると下界を見下ろす仙人になった気分だった

日本一高いところにあるお城だけあって見渡す限り

山また山 お城から下を見ると高梁川が見える



お城に登るときはすごい霧だった

霧に霞む山々 とってもきれいだった



今日は少し歩きすぎたみたいだけど心は満足

このブログのおかけで少しづつ心を開くことができた

みんなの意見は素直に聞いて前向きに考えてみようと思うようになった

みなさん ありがとう
旅行 | 20:24 | comments(6) | trackbacks(0)
傷痕
ドリルで穴を開けたい痕が二箇所ある

股関節の手術をしたら足が外に向いたので膝の横を切って足の向きを整えた

ドリルで穴を開けたらすぐに針金を入れて重りをつけられて足をつるされた

穴から血がポタポタ落ちたのを覚えている



股関節の周りが一番傷が大きい

寒くなるとしくしく痛む 傷のところだけいつも冷たい

血行が悪くなっているのだろう

脚長差があって歩くのが不自由だったけど

歩く姿は無様でも痛くなければこのままでいいと思っていた

変形性股関節症という病気があるなんて知らなかったから

知っていたら先生に言われたとおりに二十歳の時に手術していただろうか

いいえ それでも私はやっぱり手術は拒否したにちがいない

中学校の時我慢できない痛みが一ヶ月ほど続いた

手術するくらいなら死んだほうがましだと本気で思った

でも二十歳まではどうしても生きたいと思った

二十歳になったら もうそれから先はいらないと思った

あれからどれだけの歳月が経ったことか

それでも私はこうして生きている 

病気になって生きることのすばらしさを知った

私の人生 まんざら捨てたものじゃない

だから これからも一生懸命 生きてゆこう
病気 | 21:05 | comments(5) | trackbacks(0)
運転免許証更新
午後から運転免許証更新手続きに警察署まで出かけた

警察署に入る時私は無意識に折りたたみ杖をバックに仕舞った

杖をついていたら免許証の更新が出来ないかもしれないとなぜか思った

車の運転が出来なくなったら私はどこにも行けなくなる

車だけが私の移動手段だもの

電車もバスも公共の乗り物はつらくて利用できない

駅まで行くのにも歩かなければならない

たいした距離じゃないと言われるけど私にはとても遠くに思える

駅の長い階段を登ったり降りたりもかなりの苦痛だ

最近は一日のうちでも調子のいい時と悪い時があってかなりムラがある

今日は調子がよかったので警察署に行く気になった

それが夕方から左足を一歩出した時に股関節にズキーンと痛みがきて

それから少しの間は一歩も歩けなくなった

こんな時はじっとしているに限る

そろそろ決断しなければいけない時期にきたのか

いやいや まだまだ 死ぬ覚悟がなければ手術は出来ない

手術は私にとって死ぬに等しい覚悟がいる

大袈裟だなんて 笑わないでね 
日常 | 21:03 | comments(6) | trackbacks(0)
杖なし地蔵


三朝温泉の町を散策していたら杖なし地蔵を見つけた

御守護は足腰強健 健康長寿と書いてあった

かつては不要になった杖が数多く奉納されていました だって

何もなかったけどお菓子をお供えしてお参りした

両手を合わせて どうか死ぬまで手術はしなくて済みますようにとお願いした

少しくらい不自由でも痛くても手術をせずに済むのならきっと我慢できる



三朝温泉は三徳川(別名三朝川)の両脇に旅館が多数建っていて大半が日帰り立ち寄り所になっている

温泉のはしごもいいでしょうね 今度は泊まりで来たいな

行く途中高速のインターでトイレ休憩があった

小さなインターでトイレの数も少なかった

私はどうか洋式トイレがありますようにと思いながら列に並んで順番を待った

すると後ろのほうから声がして「私 障害者」と言いながら横の建物に歩いて行った

よく見るとそこは孤立している障害者専用トイレだった

次から次へと「私も障害者〜」と言いながら列から人が離れていった

障害者トイレがあることに早く気づけばよかったと私は後悔した

用足しが終わってみんなバスに乗り込んでゆく

おばさん同士が「障害者 障害者」と笑いながら話していた

私の怒りより悲しいみじめな気持ちが強くて涙を流すまいと歯を食いしばった

悔しい気持ちと情けない気持ちと健常者には障害者の気持ちはわからないのだという絶望感といろいろな気持ちが入り混じって気落ちした

私が杖を持っていることにおばさんたちは気がつかなかったのか

気がついていて言ったのなら許せない

もっと気配りをしてもいいのではないか

でも それは私の自分勝手な考えかもしれない

自分さえよければいいという考えの人が多いことに嘆く

私はそんな人間になりたくない

悲しい時はそっとしてあげたい それが一番の思いやり

相手の傷は見て見ぬふりをする それが私の愛情表現だ
旅行 | 21:18 | comments(8) | trackbacks(0)
鳥取 三朝温泉へ
日帰りツアーで鳥取の三朝温泉に行った

鳥取にも雪はなかった 残念

名物の川原風呂に挑戦しようと思っていたけど

さすがにそれは無理だった

すぐ横に民家があって窓越しにお風呂が丸見え

大きな橋が横にあり人通りも多い

この環境でお風呂に入れる人がいるのかと思っていたら

どこかのじいさんがやって来ておもむろに服を脱ぎ出した

おぉ〜見たくない 見たくない 


お昼のお料理は蟹づくし そんなにたくさん食べられるものではないなぁ

蟹は食べにくいから完食するのに時間がかかった

でも おいしかった♪
温泉 | 21:42 | comments(3) | trackbacks(0)
冬の日本海


雲の切れ間から太陽が顔を出した

ここは島根県出雲市大社町日御碕

どんよりとした空と海

強くて冷たい海風が私に襲いかかる

灯塔は日本一の高さを誇るらしい

これだけの高さがあれば行き交う船もよく見えるだろうな



加齢のせいか病気が悪化しつつある

だからってひがんでいないし卑屈になってもいないし

暗くもない 私はどんな時でも明るくありたい
旅行 | 21:27 | comments(3) | trackbacks(0)
日御碕
日御碕には何回も来たことがある ずいぶん昔の話だけど

今回訪れたのは10数年ぶりかもしれない

日御碕に着いたのは夕方だった その時小雨はもう止んでいた

空には大きな雲が太陽を遮っていたけど

ほんの数分 雲が流れて夕日が見えた

ここぞとばかりにシャッターを切った

白い灯台が赤く染まって心に残る美しさだった



身障手帳をもらってから私には心の焦りのようなものがある

行きたいところに今行かなければもう行けなくなる

いつ 歩けなくなるかもしれないという不安に襲われて

ここ一年 私はいろんなところに行った

ひとつでも多く楽しい思い出を作りたい

だから寒くても私は長い時間日御碕に立ちずっと海を見ていた

旅行 | 22:09 | comments(2) | trackbacks(0)
島根へ
昨日は出雲大社と日御碕までドライブをした

小雨が降ったけど雪にはならなかった

一月も半ばだというのに雪がどこにもなかったのにはおどろいた

雪になると運転しにくいけど全然雪がないというのもなんだか淋しい

神話の国 出雲 出雲大社は縁結びの神様

今更 縁結びなんて私には無縁だけど

娘と息子のために手を合わせた

雨にもかかわらず参拝者がたくさんいた


出雲の日本海は荒々しく白波が立っていた

ここは出雲松島と呼ばれるらしい さすがにきれいだ

私は松島には行ったことがないけどどっちがきれいなのだろう

瀬戸内海なら見慣れているけど日本海は波も荒く力強い感じがした

地平線が見えた 雄大な眺め 圧巻だ

私はしばらく岬に立って海と話をした

海は私の悩みを黙って聞いてくれた ありがとう ありがとう
旅行 | 20:45 | comments(4) | trackbacks(0)
昔の記憶
足が痛むと急激に昔の記憶が蘇る

痛み 苦しみ 淋しさ 怖さ いい思い出はない

足の長さが違うせいか背骨が曲がってしまった

だからだろうか 腰椎麻酔が効きにくい

膝にドリルで穴を開けた時の痛みを今でも鮮明に覚えている

痛みだけは覚えているけどその後のことは全く記憶がない

あまりの痛さに失神してしまったからだ

このごろ脚長差が大きくなったように思う

補高靴が低く感じる もっと高くしてもいいかな

足を投げ出してこたつに入っているとき

左足が妙に短いと思った

これはもう5ランチ以上違うと思われる

それでも自分の足で歩けるから 私はまだ幸せなのだろう
想い | 22:24 | comments(6) | trackbacks(0)
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